秩父の街並みは、急坂(段丘崖)と平らなところ(段丘面)が何段も繰り返し、荒川に向いたひな壇のような地形になっています。このような川の侵食によってできた地形を「河成段丘」といいます。
市街中心部はおよそ9段に分かれた低位段丘群の上にあり、段丘礫層(かつての川原の石)中の伏流水が、段丘崖から湧泉となって流れ出しているところが数多くありました。そのうち宮地地区にあるのが妙見七つ井戸です。
秩父神社に祀られている妙見菩薩(天之御中主神:あめのみなかぬしのかみ)は、はじめは音窪(おとくぼ)という羊山丘陵(中位段丘)の斜面の窪地に祀られ、それが麓の低位段丘面(現在の廣見寺付近。宮地の妙見宮)に移されたと伝えられています。その後、鎌倉時代(1320年頃)に秩父神社に合祀(他の神様と一緒に祀られること)されますが、その際に渡っていった道すじとされる七つの井戸(湧泉)を妙見七つ井戸とする言い伝えがあります(諸説あり)。ちなみに妙見様は北極星や北斗七星を神格化したものといわれています。
現在は枯れて遺構を残すのみの井戸もありますが、古くからいわれのある霊験あらたかなものとして親しまれ、今も水が湧き出ている井戸は人々の暮らしに使われており、地元の人々によって大事に管理されています。
妙見七つ井戸の伝説には、こんな話も伝わっています。
昔、ここは荒川まで水を汲みに行かなければならない不便な土地で、日照りが続くと、その川さえも渇水し人々は困っていました。ある日、1人の木こりが水をたっぷり含んでいる柳の木を伐ろうとすると、「木を伐らないでくれ」という柳の精の声が聞こえました。その晩、夢枕に美しい女の精が現れ、「私の7人の子どもである小さな柳の根元から水が湧き出ます」と告げました。木こりが柳を探して根元を掘ると清水がこんこんと湧き出し、その後、水飢饉になることはなくなったということです。