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藤六の海底地すべり跡
藤六の海底地すべり跡

宮地みやじ低位段丘ていいだんきゅう妙見みょうけん七つ井戸ジオサイト 4

<ruby>宮地<rp>(</rp><rt>みやじ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby>低位段丘<rp>(</rp><rt>ていいだんきゅう</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby>妙見<rp>(</rp><rt>みょうけん</rt><rp>)</rp></ruby>七つ井戸

基本はコレ!

市街地が広がる低位段丘群は、約7万年前以降にできたといわれる比較的新しい段丘。 かつては段丘崖(だんきゅうがい)沿いに湧泉が多く存在し、生活に利用されていた。
妙見様が、鎌倉時代(1320年頃)の前に祀られていた場所から今の秩父神社の場所へ渡った通すじとされる湧泉が「妙見七つ井戸」であるとの言い伝えがある。
秩父盆地の段丘地形横断面
妙見七つ井戸(四の井戸近くの祠)

 秩父の街並みは、急坂(段丘崖)と平らなところ(段丘面)が何段も繰り返し、荒川に向いたひな壇のような地形になっています。このような川の侵食によってできた地形を「河成段丘」といいます。

 市街中心部はおよそ9段に分かれた低位段丘群の上にあり、段丘礫層(かつての川原の石)中の伏流水が、段丘崖から湧泉となって流れ出しているところが数多くありました。そのうち宮地地区にあるのが妙見七つ井戸です。

 秩父神社に祀られている妙見菩薩(天之御中主神:あめのみなかぬしのかみ)は、はじめは音窪(おとくぼ)という羊山丘陵(中位段丘)の斜面の窪地に祀られ、それが麓の低位段丘面(現在の廣見寺付近。宮地の妙見宮)に移されたと伝えられています。その後、鎌倉時代(1320年頃)に秩父神社に合祀(他の神様と一緒に祀られること)されますが、その際に渡っていった道すじとされる七つの井戸(湧泉)を妙見七つ井戸とする言い伝えがあります(諸説あり)。ちなみに妙見様は北極星や北斗七星を神格化したものといわれています。

 現在は枯れて遺構を残すのみの井戸もありますが、古くからいわれのある霊験あらたかなものとして親しまれ、今も水が湧き出ている井戸は人々の暮らしに使われており、地元の人々によって大事に管理されています。 

ちょこっと豆知識 妙見七つ井戸の伝説

 妙見七つ井戸の伝説には、こんな話も伝わっています。
 昔、ここは荒川まで水を汲みに行かなければならない不便な土地で、日照りが続くと、その川さえも渇水し人々は困っていました。ある日、1人の木こりが水をたっぷり含んでいる柳の木を伐ろうとすると、「木を伐らないでくれ」という柳の精の声が聞こえました。その晩、夢枕に美しい女の精が現れ、「私の7人の子どもである小さな柳の根元から水が湧き出ます」と告げました。木こりが柳を探して根元を掘ると清水がこんこんと湧き出し、その後、水飢饉になることはなくなったということです。

アクセス
秩父鉄道「秩父駅」から徒歩圏内(秩父市宮地地内)
※各井戸の位置はこちらのパンフレットをご参照ください。個人所有地内での見学は一声お掛けください。
駐車場
なし(付近の民間駐車場等をご利用下さい。)
リンク
妙見七つ井戸パンフレット(PDF)
近くのサイト・拠点施設
秩父神社 ははその森秩父市役所及び秩父市歴史文化伝承館秩父観光情報館秩父農工高等学校跡(西武秩父駅)
関連ジオストーリー
時代を超えた人々の聖地大地の営みと共に生きる

地図

G04_宮地の低位段丘

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