岩壁が迫る中津川は、秩父帯に刻まれたV字谷で、秋には見事な紅葉が楽しめます。
中津峡を進むと、出合(であい)に至ります。冬には氷壁の名所となる場所です。ここから上流の神流川流域や中津川流域には、約600万年前に上昇してきたマグマが地下深くでゆっくり結晶して固まった秩父トーナル岩(透明な石英、白い斜長石、暗緑色の角閃石からなる深成岩)や石灰岩がマグマの熱によって変化した結晶質石灰岩などが見られます。
ここには「秩父鉱山」があり、かつて鉄、亜鉛、銅、鉛、金などを採掘していました。地下から上昇したマグマが主に石灰岩と反応してできた鉱床を「スカルン鉱床」といいますが、その生成の過程で複雑な変質、変成作用が起こったため、140種類もの鉱物を産出しました。この鉱物種の多さは世界的にも珍しいものです。
秩父鉱山は、その始まりが中世にさかのぼるといわれ、以来、一獲千金を夢見て入山した人々の歴史が残っています。江戸時代の発明家、平賀源内もその1人で、中津川集落付近で金の採掘に挑戦し、その後には鉄山の開発を手がけます(P.46参照)。中津川集落には、源内自身が設計したという「源内居」(非公開)という建物が残されています。
明治以降は、幾多の戦争など時勢に影響されながらも断続的に採掘は続けられました。その後、昭和に入って近代的な鉱業が営まれるようになり、最盛期を迎えた昭和30年代には約2千数百人にも及ぶ人々が暮らす鉱山町が形成されました。昭和53年(1978)には金属採掘が終了し、現在は石灰石のみを採掘しています。
※鉱山は稼働中のため立ち入り禁止です。
※稼働中の鉱山の見学はできません。また、鉱山跡への無断立ち入りは禁止です。