※車・バイク・自転車利用がおすすめのコースです。
秩父盆地の西に位置し、上州・信州への街道筋に栄えた町。秩父盆地の新第三系とその下の秩父系や山中層の境界部にあり、赤平川ぞいの低位段丘の上に発達した市街地と西の狭い谷筋からなる。西方の両神山は秩父帯のチャートからできており、その右に山中地溝帯(白亜紀)。歌舞伎や鉄砲祭りが伝承されバイク街づくりの町でも知られている。わらじカツ丼がおいしい。
赤平川の段丘崖を防壁とした奈倉館跡や妙見神社があり、古くから栄えたところ。神社には女歌舞伎が伝承されている(10月第一日曜)。下流の小坂下には、海底地滑りの跡(褶曲)が見られる。対岸の「ようばけ」は、平成21年に「日本の地質百選」に選ばれた。上半部は鷺の巣層の砂岩と泥岩の互層、下半部は奈倉層の泥岩層でカニ・貝など化石を多く含む。近くにおがの化石館があり、大正時代にここを訪れた宮沢賢治の歌碑がある。
昭和37年 小鹿野町指定天然記念物。昭和52年 埼玉県自然環境保全地域。
海底地すべりで湾曲した新第三紀の地層(スランピング)や段丘礫との不整合。下部は傾斜し上部を侵食された新第三紀の地層、その上に第四紀の堆積物が重なる不整合が見られる。崖の右側(上流方向)には、海底地滑りによる褶曲した地層(スランピング)が見られる。川までバイクで降りられる。木の茂らない冬のほうが観察しやすい。
盆地の新第三紀の地層の最下部が露出。札所三十一番観音院にはこの地の凝灰岩を使った一万八千体の磨崖仏や仁王様がある。ここの石材は岩殿沢石と呼ばれ、加工しやすく秩父の各地で地蔵様・墓・石垣などに利用されてきた。凝灰質砂岩は加工しやすく軽いので、石碑や墓石・地蔵様などに多く使われた。
この地域は、盆地の新第三紀の地層の最下部にあたり、牛首峠付近に秩父では珍しい花崗岩の礫も観察できる(基底礫岩)。盆地の南東隅にある札所4番金昌寺の石仏は、この山の石で作られた。地蔵寺付近には貝化石もある。
赤平川右岸に白亜系と新第三系の不整合。谷は狭くなり約1km上流に小鹿野用水の取水堰がある。ここは山中地溝帯(西へ伸び長野県まで続く)の東の端で、中生代白亜紀の山中層(約1.3億年~1億年前)と新第三紀の地層(約1700万年~1500万年前)の境(不整合)が見られる。これより上流は岩石も硬く狭い谷となる。約1km走ると「田の頭」の集落がある。地名は田を作る最上部を示しているのかも。昭和34年3月に完成した小鹿野用水の取水堰があり、旧街道ぞいに旧三田川村役場のレトロな建物が見られる。
秩父鉱山の鉱石を運搬した索道の中継所跡。朝鮮戦争特需の頃は、索道運搬だけでは間に合わず、ここからトラック輸送も併用して運び出された。索道は両神の須川を経て三峰口までのび、鉄道に乗せられ運び出された。
秩父帯の石灰岩(古生代石炭紀?ペルム紀のフズリナ化石)の山。南側の泥岩から中生代ジュラ紀の放散虫が見つかり、堆積年代は新しくなり約2億年前のジュラ紀の付加体となった。石灰岩がプレートによって運ばれジュラ紀にここに堆積した「付加体」と言われます。
志賀坂峠は、古来より上洲を経て信州に往来する盆地への重要な出入り口だった。トンネルをくぐると峠の向こうに「漣痕化石(さざ波の跡)」や「恐竜博物館」がある。