下蒔田の蒔田川は深く、畑ばかりである。目の前に、上流へ向かって流れる「逆さ川」がある。中位段丘の時代には、荒川の支流が流れこんで、深く侵食していたと考えられる。
田が多く米どころ。南向きの斜面には長屋門を備えた大きな農家が並んでいる。屋号「田の頭」と呼ばれるお宅はこの地域の古くからの豪農で、当主は甲斐源氏・武田家の剣法である甲源一刀流を子供たちに伝えている。長屋門はその道場。
上蒔田の椋神社では、毎年3月3日に、米の豊作を祈る御田植祭りが行われる。近くの沢から水を運ぶ神事が行われ、境内では馬や竹で作った鍬を使い白装束の氏子により田を耕し苗を植える所作が演じられる。春まだ浅く、時には雪が舞う中で行われる。
この河川は、荒川や赤平川の浸食にともない、上流が切断され侵食が進んでいない。浅いところを水が流れているので水が利用しやすく、谷沿いは田が多くある。蒔田の谷は米どころ。
蒔田の谷の上流部には、1373年創建の円福寺の壮大な伽藍が存在する。米どころ蒔田の檀家が支えていたと考えられる。
寺は南向きに建てられ、参道が小鹿野・秩父間の旧道に向かって伸びている。この道を上ると尾田蒔丘陵に上り、小鹿坂峠を越えて大宮郷(秩父市街地)にいたる。
高位段丘である尾田蒔丘陵はおよそ50万年前の多摩期のものと考えられている。段丘礫層とローム層が観察できる。
小鹿坂峠の南面に札所二十三番音楽寺がある。秩父市街地の低位段丘地形、前方に中位段丘の羊山丘陵が望める。明治17年に起きた秩父事件のとき、困民軍はこの寺の鐘を打ち鳴らして町に攻め込んだと伝えられる。