彩甲斐街道(国道140号)を南に向かい、影森を過ぎて下り坂のカーブを左折します。盆地内の平坦な地形が一変し、急峻な地形の秩父帯に入ります。V字谷の出口に作られた堤の上は、盆地を南方から眺める絶景ポイントです。ダムサイト右岸の「うららぴあ(資料館)」や堤体内のギャラリーでは荒川と水と人のかかわりを体験できる様々な展示が楽しめます。ダム下には、赤色チャートに似ていますが、チャートより軟らかい赤色泥岩が見られます。黄砂のような土ぼこりが海底で積もったものです。
武甲山をつくる石灰岩体の西の端に位置します。札所28番橋立観音堂があり、岩陰からは縄文時代の遺跡も見つかり古くから人が住み、信仰の地でした。鍾乳洞は割れ目に沿ってできたもので、入り口から約150m・高さ30mほど登って出口に至る竪穴の洞窟です。石灰岩は、古生代ペルム紀のころ大洋の彼方ででき、海洋プレートによって運ばれ、中生代ジュラ紀にこの地に押し付けられたと考えられるもので「付加体」と呼ばれます。
国道140号に戻り下影森(県土整備事務所前)の交差点を左折するとまもなく巴川橋を渡り、S字状に大きく蛇行している荒川が見えます。流路の外側(攻撃斜面)は侵食され内側(滑走斜面)には砂礫が積もり住宅も建てられています。自由曲流だった河川が浸食を復活し、曲流を保ったまま下刻が進んだものです。「穿入蛇行」とか「下刻曲流」などと呼んでいます。
秩父盆地の北の隅、皆野町前原の荒川と赤平川が合流する左岸に、盆地の基盤である秩父帯と新第三系の不整合があります。基盤は破砕された粘板岩でジュラ紀のものです。上に重なるのはチャートや粘板岩の礫(基底礫岩)で上へいくにつれ砂岩へ移り変わっています。侵食され続けていた秩父帯の地層が新第三紀になって海におおわれ新しい地層が堆積したことを示しています。
赤平川が曲流し川の右岸を絶えず侵食しており護岸工事もなされていないので、新第三系の砂岩・シルト岩の互層(タービダイト)・新第三系と第四系の斜交不整合・海底地すべりによる褶曲(スランピング構造)などが観察できます。海底地すべりを示す堆積物は小鹿野町層の広範囲にわたって見られ、この時期には後背地の隆起と堆積盆の急速な沈降が起こったと考えられます。
「ようばけ」という名は”太陽の当たる崖”という意味合いだと言われています。新第三系の秩父町層が露出する巨大な崖です。下半部は「奈倉層」上半部は「鷺の巣層」です。「奈倉層」からはチチブクジラなど脊椎動物化石やカニ化石が発見されています。秩父盆地の上部を占める秩父町層は、ハーフグラーベン(半地溝)を埋めたおよそ3000mを超える厚さの地層です。「おがの化石館」は、小鹿野町般若の奈倉層で見つかったパレオパラドキシアの骨格(レプリカ)や化石愛好者・地元の人が採集した化石を展示しています。宮沢賢治の歌碑があります。
高位段丘(多摩期)の尾田蒔丘陵は盆地の中を南北に連なり「長尾根」と呼ばれてきました。尾根を越える小鹿坂峠は、小鹿野町と秩父市街地を最短距離で結んでいました。段丘上は水が無く長いあいだ薪や炭をつくるための雑木林でした。平成3年7月に「ミューズパーク」として開業され、健康志向に支えられてウオーキングやテニスを楽しむ人たちでにぎわっています。段丘上ではローム層と段丘礫層が観察できます。「旅立ちの丘」や展望台に立つと武甲山をはじめ秩父盆地を取り巻く山々、眼下に中位段丘の羊山丘陵や低位段丘上に広がる秩父市街地を眺めることができます。