江戸からの巡礼者が最初に訪れるのが1番四萬部寺。観音堂の西側には新第三紀の泥岩層があり玉ねぎ状の風化構造が見られる。南の山道を登ると変成岩地帯に入り2番真福寺にいたる。駐車場わきの崖に黒色の結晶片岩が見られ、下り道の大棚川沿いには暗緑色の蛇紋岩が露出している。
4番金昌寺の奥の院では、上部に礫岩・下部に蛇紋岩が見られる。新第三系と三波川帯の「不整合」である。1319体といわれる石仏群は、盆地北西隅の31番観音院付近から大勢の人の手で運ばれた「功徳石」とも言われる凝灰質砂岩(岩殿沢石)で作られている。ここは盆地と山地の境界。
13番慈眼寺わきに夜祭のクライマックスで屋台が引き上げられる団子坂(段丘崖)がある。寺の角の地蔵尊はかつて段丘崖の水の湧き出るところにあった。湧水は地蔵川となって町中を流れていた。段丘崖を北にたどると15番少林寺がある。寺への階段は段丘崖を登るもの。
19番龍石寺は段丘崖(新第三系が露出)の上に建つ。周囲は宅地なのにここだけ自然が残っている。秩父橋を渡った20番岩之上堂 の奥の院「乳水場」は小さな白い鍾乳石から滴る湧き水がその名の由来。観音様が船頭に姿を変え孝行息子を増水した荒川を渡してくれたという霊験は、荒川が暮らしの障壁であったことを語っている。
28番橋立堂裏の岩壁は武甲山石灰岩の西の隅。26番円融寺の奥の院岩井堂はチャートの上。石灰岩もチャートも太洋の彼方ででき、プレートにのってこの地にたどりついた「ジュラ紀の付加体」。鍾乳洞は珍しい竪穴で県内唯一の観光洞。
31番観音院の凝灰質砂岩(岩殿沢石)は当時(約1,700万年前)の火山活動を語る。牛首峠への沢では花崗岩の巨円礫(基底礫岩)がある。堆積したころは近くに花崗岩が露出していたことを示している。滝のわきに斜交葉理と磨崖仏があり、奥の院の「馬の足跡」はノジュール(団塊)の断面である。
32番法性寺は高くそびえる砂岩の「お船岩」を背に建つ。観音堂裏の岩窟には蜂の巣状のたくさんの穴。岩の表面から水が蒸発すると塩類ができ、その部分がもろく崩れる風化現象「タフォニ」である。寺には、札所の順番が江戸からの巡礼者向けに変わったことを示す「長享2年秩父札所番付一覧」が保存されている。