長瀞の岩畳の対岸の断崖絶壁は「秩父赤壁」と呼ばれていますが、その上部に明治時代に開削された旧道が通っています。
江戸時代、当地は通行の難所で井戸破崩(はぐれ:崩れやすく危険な場所)と呼ばれていました。当時、人々は今の道の6~7m上の断崖絶壁を通り、人や馬がよく落ちたことから、現在も馬頭尊が残っています。現在の道は、明治14年(1881)から開削が始まり、秩父事件が起こる前年である明治16年に完成しました。難工事であるため佐渡の金山の金穴(かなあな)掘りを呼んだそうで、岩肌には当時の発破の跡が刻まれています。工事の途中、崖上に残った岩を落とすか残すかで問題になったとき、武八という若者が残してくれと皆に嘆願したそうです。今ではその岩は「武八岩」と呼ばれ、岩の上に生えた草木は四季折々の美しさを見せて通る人々を楽しませながら、往来の安全に役立っているということです。
この道は現在、遊歩道「長瀞自然のみち」となっています。対岸の岩畳を眺めることができますが、遊歩道から数m先は断崖絶壁になるため、十分注意が必要です。