平安時代に編纂された『続日本紀』には、「和銅元年(708)春正月(11日)。武蔵国の秩父郡が和銅(にぎあかがね・自然銅)を献じた」とあります。1300余年前、平城京遷都の直前、日本史に初めて「秩父」が登場した出来事です。
和銅遺跡は、和銅沢の左岸に見られ、和銅採掘露天掘跡と伝えられている場所です。露天掘跡といわれる溝状の地形は、地質学的には外秩父山地の岩石(約2億年前)と秩父盆地の新第三紀の地層(約1500万年前)との境となっている出牛- 黒谷断層の破砕帯(断層の動きにより岩石が細かく砕かれた部分が帯状に連続して分布しているところ)です。 出牛- 黒谷断層は、秩父市黒谷から皆野町国神(くにかみ)を経て、金沢(かねざわ)の谷に沿って出牛まで続いている断層です。
現地で見られるのはチャートと砂岩であり、銅を含む地層は存在していません。しかし、銅鉱石は三波川帯の中で何か所も確認され、地元の聖神社には自然銅の塊が奉納されていることからも、銅を含む岩石が風化し、水中に沈殿した自然銅をこの地で採掘した可能性が考えられます。