大きなわらじのかかった仁王門をくぐると、およそ1300体以上にも及ぶ表情豊かな石仏が迎えてくれます。この石仏は江戸時代に全国各地から奉納されたもので、寛政元年(1789)、当時の住職が天災などによる犠牲者の供養と寺の興隆のために石造千体仏安置を発願し、7年の歳月をかけて成就したとされています。
特に有名なのは赤ちゃんを膝に抱いて乳を与えている姿の「慈母観音(子育て観音)」で、他にも杯を頭の上に掲げて禁酒を誓った「酒呑地蔵」や、亀に乗った「亀甲地蔵」など他では見られないものがあります。石仏は、秩父盆地北西隅の岩殿沢から切り出された凝灰質砂岩です。この火山灰を含む細粒砂岩は、均質で割れにくく、刻みやすく、「岩殿沢石」と呼ばれ、大正時代のころまで、秩父地域でよく石材として使われていたものです。また、切り出された石材は道端に置かれ、少しでも運べばご利益がある「功徳石」として、盆地の西から東まで大勢の人の手によって運ばれました。
左の坂を上ると奥の院があります。この崖では、下部に三波川帯の蛇紋岩(約8500万年~約6500万年前)、上部に秩父盆地内の礫岩層(約1500万年前頃)が見られます。
このように両者の間に大きな時間の隔たりがある関係を「不整合」といいます。ここでは、山地の岩石(蛇紋岩)と盆地の地層(礫岩層)とが接しています。地形的にみても、この寺は山地と盆地の境界に位置しています。