観光地としても名高い長瀞は、旧親鼻(おやはな)橋から旧高砂橋までの荒川の両岸が国指定の名勝・天然記念物になっています。中でも岩畳や秩父赤壁が有名です。
川の水が深くて流れが静かなところを「瀞(とろ)」といい、長瀞の地名の由来にもなっています。荒川は、この岩畳一帯で青く淀んだ瀞になって美しさを増し、付近一帯の景観は舟下りの観光客の目を楽しませています。古くから景勝地として知られ、かつて宝登山神社の参拝客は岩畳で月を愛でながら宴会を催したそうです。
ここは関東山地から九州まで、約840kmにわたって続く三波川帯の東の端にあたります。岩畳は、結晶片岩の板のように剥がれやすい特徴である「片理(へんり)」(水平方向)と、地下深くから隆起した際にできた割れ目「節理(せつり)」(垂直方向)、そして荒川の侵食がつくった地形です。
三波川帯の岩石は、秩父帯や四万十帯の岩石の一部が、約8500万年~約6600万年前(中生代白亜紀)にプレートとともに地下20 ~ 30kmの深さに引きずり込まれ、圧力と熱による変成を受けてできました。このときの強い圧力により、雲母のような鉱物がつくられ、薄いパイ生地のように剥がれやすい片理を持つようになりました。地下深くの岩石を地表で観察できるので、「地球の窓」といわれています。
岩畳には、荒川の川底であったときにできたポットホール(甌穴:おうけつ)や流路跡(四十八沼)も見られます。また、たびたび増水の影響を受けるにもかかわらず、岩の間のわずかな隙間に生えたユキヤナギやフジも見られます。
対岸の崖は、中国の名所にちなんで「秩父赤壁」と呼ばれています。断層に沿って荒川が流れることによってできた断崖です。 江戸時代に書かれた「宝登山図会」という文書には、「両岸峨々として疑ふらくは漢土の赤壁も如何でか」との記述があります。