吉田川との合流点の南、赤平川の右岸に幅約800mに及ぶ巨大な露頭があり、吉田取方総合運動公園を取り囲んでいます。
この取方の大露頭で見られるくっきりとした縞模様の地層は「タービダイト」といわれる、深海の海底扇状地の堆積物です。陸から流れ込んだ泥や砂は、海の波により大陸棚に広がりますが、深海には届きません。大地震などが起こると大陸棚から砂や泥が深海底に混濁流となって流れ込み、粒子が荒い砂は先に、細かい泥はゆっくり沈みます。これが繰り返されることできれいな縞模様になりました。
地層はほぼ水平に堆積したものですが、地殻変動により南(右側:秩父盆地の中心)に約30度傾いています。また、地層が大きく曲がっているところも観察できます。これは、古秩父湾が深海であった約1600万年前、北側の山地が隆起して南側が沈んでいったとき、まだ固まっていない海底の地層が地震などによってゆるい斜面をすべり落ちた「海底地すべり」に巻き込まれたり、折り畳まれたりしたもので、「スランプ褶曲」といいます。
解説看板のあたりの露頭の上部には、右側に傾いた地層の上に、水平な地層が乗った「傾斜不整合」が見られます。下の地層が約1600万年前の古秩父湾の時代にできてから、地殻変動により傾いて隆起し、赤平川などの川により上部が侵食され、その上に約2万年前の段丘堆積物が積もったことがわかります。
なお、解説看板のあたりの地層は右側に約30度傾いて見えるのに、上流の崖では水平に見えます。これは、地層が曲がっているのではなく、崖の向きが違うからです。
取方の大露頭の不整合の下にある川の深みを「トサン淵」といいます。 室町時代末期の戦国の世であった永禄3年(1560)、北条勢の侵入を武田勢へ報告しようとした土佐の坊(とさのぼう)という僧がいました。ホウキグサをムチの代わりに馬を走らせましたが、すでに敵に囲まれ逃げ切れず、崖から赤平川の淵へ身を投げたそうです。「 土佐の坊の淵」が転じて「トサン淵」と呼ばれるようになったといわれています。土佐の坊が持っていたホウキグサの種が芽を出してトサン淵に自生したとされ、「まかずのほうき」と呼ばれています。 このホウキグサを持ち帰ると土佐の坊の霊が災いをもたらすと伝わっています。